第一部・核の季節の再来 第二部・終わりなき情報戦争
2001年10月10日(水) 第二部・終わりなき情報戦争 (6)
隣り合わせの危険/共存共栄 本当に可能か
海面をなめるように超低空で飛び去る米軍のF16戦闘機。黒い物体が翼下からスルス
ルと離れ落ちたかと思うと、大音響とともに盛大な土煙を巻き上げる。対地爆弾のすさ まじい威力に中年男性がまゆをしかめ、韓国語でつぶやく。「騒音、振動、誤爆…。も う、うんざりだ。なぜ、われわれだけがこんなつらい思いをしなきゃいけないんだ」 と。
ソウルから南へ八十キロの黄海に面する漁村、梅香里(メヒャンニ)。在韓米軍の射
爆場として知られる同村の現状を伝えるドキュメンタリー映画「梅香里」の一シーン だ。日本の市民団体の協力で西山正啓監督が制作したこの映画は現在、全国で巡回上映 されており、西山監督は「基地問題が住民の生活に与える影響の深刻さを理解してもら いたい」と訴える。
防風林に囲まれた海岸地帯を飛び交うF16。梅香里とそっくりな風景が広がる三沢市
天ケ森で今、同町内会長の針田隆さんは映画の男性と同じ思いをかみしめている。「射 爆場という危険と隣り合わせに生きて五十年が過ぎようとしています。米軍機さえ来な ければ、天ケ森は本当にいい所なんです。シジミや魚といった海の幸のほか、山菜がふ んだんに採れますしね。でも、もう限界。自分たちの命は自分たちで守らなくては…」
針田会長ら天ケ森町内会が選んだ「命を守る道」、それが集団移転だった。防衛施設
庁は九月、来年度予算の概算要求に天ケ森射爆場に隣接する天ケ森、砂森地区の集団移 転事業費を盛り込んだ。本決まりではないが、これで両地区の移転は実現へ大きく踏み 出した。しかし、天ケ森の人たちにとって集団移転は「苦渋の選択の結果」だった。彼 らが当初、目指したのは射爆場の撤去だった。針田会長は語る。
「今でも、真の願いは射爆場の撤去であることに変わりありません。自分の生まれた
土地を去りたいと思う人はだれもいませんよ。でも、国は本土で唯一の射爆場を撤去す るわけにはいかないと言う。米軍が三沢にいる限り、射爆場はなくならないということ です。残された道は移転しかありませんでした」
住民を追い出す格好で居座る天ケ森射爆場。核爆弾の投下訓練にも使われた同射爆場
は、米軍三沢基地のシンボルであり、「米国は将来的にも手放すつもりはないだろう」 と軍事評論家で東京国際大教授の前田哲男氏は分析する。
その根拠の一つに挙げられるのが、三沢の“居心地の良さ”だ。それを示す興味深い
データがある。在日米軍に対する「思いやり予算」に占める三沢基地の比重だ。
政府まとめによると、「思いやり予算」がスタートした一九七八年から九六年まで十
九年の間に三沢に投入された施設整備費の累計は千七百四十三億円。基地別では二位の 横須賀(千三百十三億円、神奈川県)、三位の横田(九百六十六億円、東京都)を大き く引き離してトップで、三沢が手厚い扱いを受けている実態がよく分かる。
こうした膨張し続ける「思いやり予算」は、前田氏には日本の危機意識のなさの表れ
に見えるという。前田氏は「基地施設や隊員の住宅整備に使われているはずの思いやり 予算が、結果的には盗聴システムの『エシュロン』にも役立っている。まさに、隣り合 わせの危険です」と指摘する。
弾丸が飛び交う射爆場以外にも存在する身近な危険。米中枢多発テロで明らかなよう
に、基地はテロをも引き寄せる懸念を捨て切れない。基地との「共存共栄」は本当に可 能なのか。危険に向き合う覚悟はできているのか。日米安保調印から半世紀。一つの節 目を迎えた今こそ、問い直してみたい。
2001年10月8日(月) 第二部・終わりなき情報戦争 (5)
宗谷海峡上空異常あり/海自八戸機をソ連迎撃?
米国とロシアが激烈な情報戦を繰り広げるオホーツク海と日本海。二つの北の海を結
ぶ宗谷海峡で海上自衛隊八戸基地にかかわる、ある“疑惑”が浮上している。
四半世紀前の一九七六年にさかのぼる封印された“事件”のことだ。旧ソ連軍の通信
情報を収集するため偵察飛行していた同基地の対潜哨戒機P2V7ネプチューンが、ソ 連戦闘機から空対空ミサイルを発射された−という衝撃的なものだ。
宗谷海峡は、三沢を飛び立った米海軍の対潜哨戒機が、六四年に地対空ミサイルによ
る攻撃を受けたいわく付きの場所。しかも、機種は同じP2V。本県は自衛隊にとって も重要な「北の情報基地」だった−と“事件”は告げている。
複数の海自関係者の話を総合すると、事の概要はこうだ。発生したのは七六年四月。
八戸基地に展開している第四航空隊のP2V7一機が宗谷海峡上の日ソ国境付近を飛行 していたところ、ソ連戦闘機の迎撃を受け、空対空ミサイルを発射された。しかし、ミ サイルは命中せず、乗組員十二人と機体に被害はなかった−という。
“事件”を知る海自関係者は「P2V7が八戸基地に帰投後、録音してきたソ連軍の
交信を分析した時点で初めて、ミサイルを撃たれたことが分かったといいます。飛行中 は気付かなかったらしいのです。搭乗員は領空侵犯をしていなかったと言うし、攻撃さ れた理由はついに分からずじまいでした」と話す。
「情報収集任務の際にはロシア語の担当者を同乗させることがあるが、当日は乗せて
いませんでした」と続ける。
“事件”を受けて、同基地は宗谷海峡付近での飛行内容を変更。公海上であっても、
ソ連戦闘機がスクランブル(緊急発信)してきたら、飛行を中止するようパイロットら に指示したという。
この“事件”を事実として裏付ける人物が米国にいる。数々のスクープ記事で知られ
るワシントン・ポストの軍事記者、セイモア・ハーシュ氏(ワシントンDC在住)だ。 ハーシュ氏は本社の取材に対し、「この“事件”は七六年の米政府の秘密文書の中で報 告されています」と話す。
ハーシュ記者によると、秘密報告書はDIA(国防情報局)が極東ソ連軍の交信の傍
受・分析したもので、“事件”は四月二日に起きた。ソ連戦闘機SU(スホーイ)15が 緊急発進から二十八分後に、海自八戸のP2V7を「目標視認」と報告。ただちに地上 管制官から無警告で攻撃するよう命令を受け、二発のミサイルを発射したという。
冷戦期のソ連軍は他国の軍用機が接近した場合、領空(海岸線から二十二キロ)外で
も攻撃することがあった。米ソが激しい情報戦を繰り広げた極東地域でその傾向が強く 「領空の外側にさらに緩衝地帯を設け、許可なく入った航空機をすべて攻撃対象にして いた」(軍事専門家)という。
幅が四十キロにすぎない宗谷海峡は特に緊張した地域で、ある海自関係者は「ソ連は
領空外でも、これ以上入ったら撃つぞというエリアを設け、自衛隊機が近づく度にスク ランブルをかけていました。日本のパイロットは挑発に乗るなと戒められていました。 米軍機がミサイルや機関砲を撃たれたという話もしばしば聞きました」と話す。
このため、海自八戸のP2V7に対するミサイル発射には、警告の意味が込められて
いた可能性も否定できない。
記憶に新しい八三年の大韓航空機撃墜事件。この事件が起きたのは、まさに宗谷海峡
近くのモネロン島沖で、攻撃したのは同じSU15戦闘機。宗谷海峡は米、ソ、日がしの ぎを削る情報戦の最前線だったのである。
米軍資料によると、冷戦期の極東で偵察中に撃墜された米軍機は十五機。うち五機が
P2Vだ。
2001年10月7日(日) 第二部・終わりなき情報戦争 (4)
仮想核攻撃/ロ機「北のやり」に矛先
「戦略的にみて、国内最大の米軍基地である嘉手納より、三沢の方が重要性は上で
す。情報収集拠点という側面を持っているからです。この隠された素顔はあまり知られ ていませんがね」
ねっとりした亜熱帯の潮気が辺りを包む沖縄県那覇市のホテルで、軍事ジャーナリス
トの国吉永啓氏が語った。元沖縄タイムス記者で基地取材の経験が豊富な彼が「ロシ ア・中国にとって、目の上のタンコブのように目障りな基地」と称する三沢。その事実 を図らずも証明する事件が今年二月十四日に起きた。
それは、ロシア空軍爆撃機による北海道礼文島沖での領空侵犯事件だ。防衛庁による
と、沿海州の基地を発進したTU(ツポレフ)M22二機が、二回(計六分)にわたって 領空に入り込んだという。同庁の発表はロシア機の侵犯は六年ぶり−と淡々としたもの だったが、「問題は領空侵犯後の飛行ルートにある」と軍事専門家らは指摘する。
礼文島北方で領空侵犯したTU22M二機は、その後東へ向かい、知床半島をかすめて
南下。本州に向かって飛び続けると、襟裳岬沖合でくるりと反転し、同じコースをたど って沿海州へ戻った。
「TU22MはUターンするまで南西方向に飛行していました。その延長上にあるのは
何でしょう? そう、三沢基地です。三沢攻撃を想定したシュミレーションだったと考 えられます」と軍事専門家の一人は話す。
専門家らが「三沢への模擬攻撃」と推測するロシア爆撃機の「ミサワ急行」。その真
相について、ロシア紙はその後「核戦争を想定した大規模な演習だった」と報道。さら に、米ワシントン・タイムズは「在日米軍基地への核ミサイル攻撃を視野に入れたも の」(四月三十日付)とした。
ワシントン・タイムズがNSA(米国家安全保障局)関係者の話として伝えた「核ミ
サイル攻撃」に至る経過はこうだ。
(1)中国軍が「一つの中国」を旗印に台湾を攻撃(2)これに対して、米軍が地上
軍を投入し反撃(3)窮地に追い込まれた中国軍は戦術核爆弾を使用(4)報復とし て、米軍が中国本土を核攻撃し核戦争に発展(5)米軍をけん制するため、ロシア軍が 日本・韓国の米軍基地へ核攻撃の構えを見せた−。
最終的にはロシア爆撃機が一斉に巡航ミサイルの発射訓練を行い「想定した敵軍をす
べて破壊し、勝利したと判断された」(ロシア紙)という。
ワシントン・タイムズによると、演習の内容はNSAがロシア軍の交信を分析した結
果判明した−としているが、通信傍受に際して、三沢の巨大情報収集網がフル稼働した ことは間違いない。
領空侵犯はこうした軍事演習の流れの中で発生したとみられ、演習のシナリオに登場
する「日本・韓国の米軍基地」と「想定した敵軍」の中に三沢が含まれていたことは容 易に想像できる。
TU22M二機が搭載可能な核巡航ミサイルは射程五百キロに及ぶKh22型が計六発
で、核弾頭一発の破壊力は三百五十キロトン(広島型原爆の約三十倍)。三沢基地はも ちろん、本県の東半分を消し去るのに十分すぎる量だ。
三沢への「仮想核攻撃」が、バレンタインデーに浮かれる日本列島をあざ笑うかのよ
うに、はるか太平洋上からひそかに行われていたのである。
そして「注目すべきは演習の背景にロシア、中国の協力体制が読み取れること」とは
米国の専門家。唯一の超大国として君臨する米国に対抗するため、過去のいさかいを超 えてスクラムを組むロシアと中国。その核の矛先は「北のやり」であり、「極東最大の 情報収集基地」である三沢に向けられているというのだ。
ある軍事専門家はこう言う。「多くの日本人が知らない間に『第二次冷戦』は既に始
まっている」と。
2001年10月6日(土) 第二部・終わりなき情報戦争 (3)
ミサイルは発射された/宗谷海峡一時騒然と
ロシアのMIG(ミグ)31戦闘機がぐんぐん迫ってきた。「危険だ」と米対潜哨戒機
P3Cオライオンのパイロットは感じた。MIG31は十五メートルの至近距離まで近づ くと、一段とエンジンを吹かし、かすめるように通り過ぎた。吹き付けられたジェット の奔流にP3Cの機体が大きく揺れた。
このとき、MIG31は対空ミサイルのレーダーをP3Cにロック・オンさせていた。
いつでも、撃ち落とせるんだよ−。MIG31のパイロットはそのことを暗黙のうちに語 っていた。MIG31の別名はフォックス・ハウンド(キツネ狩り用の猟犬)。低空をよ たよた飛ぶプロペラ機のP3Cは、まさに追い立てられるキツネそのものだった。
今年九月四日。カムチャッカ半島近くの公海上空で起きたとされる事件の大まかな内
容だ。同十五日、ワシントン・タイムズは米国防総省筋の情報として、この事件を報じ た。同紙によると、実戦さながらの“空中戦”は九月五日にも同じ場所で繰り返された という。
第一部で紹介したように、米軍三沢基地のP3Cは、旧ソ連の戦略型原潜が「核発射
基地」とするオホーツク海を主な作戦空域としてきた。それは現在も変わりなく、迎撃 されたP3Cも、デルタIII級原潜(弾道ミサイル十六発搭載)の演習を監視していた と考えられる−と同紙は伝える。
「当然、P3Cは三沢の所属機である可能性が極めて高い」と軍事専門家は口をそろ
える。
幸い、MIG31の対空ミサイルは発射されることはなかった。しかし、この事件の三
十七年前、三沢を飛び立った対潜哨戒機が実際に旧ソ連軍のミサイル攻撃を受け、戦闘 状態に陥るという緊急事態が発生した。その事実は長い間隠し通されてきたが、本社の 調査によって明らかになった。
それは空軍機密文書の中に埋もれていた。三沢に駐留した第三九航空師団の一九六四
年の部隊史は次のように記す。
「十月、米海軍の(対潜哨戒機)P2Vは、北海道とサハリンの間にある宗谷海峡を
飛行中、地対空ミサイルを撃たれた。二機目のP2Vが事件発生現場に送られ、戦闘空 中パトロールを実施した。同機に対しては(ソ連側から)何ら敵対的な接触はなく、こ のため同機は三沢に帰投した」
淡々と記しているが、宗谷海峡一帯が一時騒然とし、戦闘状態に入ったことが文章か
らよく分かる。事件の二カ月前には、米国のベトナム戦争介入の引き金となったトンキ ン湾事件が起きたばかりで、米ソはアジアで一触即発の状態にあった。
P2VネプチューンはP3Cの一世代前の機体。米海軍資料と照らし合わせた結果、
地対空ミサイルを撃たれたP2Vは当時、山口県の岩国基地から分遣されていた第四二 哨戒飛行隊所属であることを突き止めた。
問題は同機が撃墜されたかどうか。本社は当時の隊員を捜し出し、貴重な証言を得
た。無線担当の一等技術兵として、同飛行隊に六四年から二年半所属したリック・ミル ズ氏(テネシー州メンフィス市在住)は語る。
「攻撃を受けたのは、私の機体ではありませんでしたが、ミサイルは二発だったと記
憶しています。被害はありませんでした。三沢はとにかく寒く風が強い所でした」
戦略型原潜が潜むオホーツク海周辺は冷戦時代、米ソ情報戦の最前線でもあった。米
軍機はソ連領空ぎりぎりまで接近しては、極東ソ連軍の通信・電子情報はもちろん、大 気中の放射性粒子まで収集し、防空態勢や弾道ミサイルの配備状況、核実験の有無など を分析した。領空内に忍び込むこともたびたびだったという。
平時と有事の区別さえないそんな場所で三沢のP2Vは何をしていたのか。なぞのま
まだ。
2001年10月5日(金) 第二部・終わりなき情報戦争 (2)
日本が狙われている/姿見せぬ“産業スパイ”
夏草が足元でカサカサ鳴った。小川原湖を渡る風が心地よかった。ゴルフボール型を
した真っ白な巨大ドーム群が、遠く三沢基地内に見えた。「やっぱり、そうだ。エシュ ロンだ」。傍らを歩くダンカン・キャンベル氏のささやきにも似た言葉を佐藤裕二氏は 聞き逃さなかった。度の強い眼鏡越しに見えるキャンベル氏の青いひとみが輝いてい た。
二〇〇〇年七月。軍事研究家の佐藤氏は、エシュロン研究の第一人者として知られる
キャンベル氏(英国)を案内するため、自宅のある秋田市から三沢に出向いていた。か ねてエシュロン疑惑が浮上していた三沢の巨大ドーム群がキャンベル氏の目にどう映る のか、それが知りたかった。
キャンベル氏の「エシュロン」という言葉を聞いて、佐藤氏の頭はフル回転した。二
十年にわたる追跡調査で得た巨大ドーム群についてのさまざまな情報の断片が浮かんで は消えた。そして確信した。「自分の考えに間違いはなかった」と。
あれから一年二カ月。あの時の確信は今、最終結論に達した。「セキュリティー・ヒ
ル」で威容を誇る十四基の巨大ドームのうち、エシュロン用とみられるのは一九九一年 以降に建設された四基−だと。厚い秘密のベールに包まれた通信情報傍受システム「エ シュロン」の施設が特定されるのは極めてまれなことだ。
佐藤氏は言う。「ロシア軍事衛星の傍受用は八基あれば十分です。残る六基のうち二
基は米国が自国用に使っている国防衛星通信システム。従って、残りの四基が商業衛星 を狙ったエシュロン用と考えられます。四基の建設が最初に確認されたのは冷戦後の九 一年八月なので、ロシア以外をターゲットにしていることは明らかです。四基のうち三 基が傍受を担当し、収集した情報を一基が米本土のNSA(国家安全保障局)に送信し ているとみるのが妥当です」
巨大ドームは直径十一−十八メートルのプラスチックでできており、その中のパラボ
ラアンテナが通信衛星を追っている。同様のエシュロン基地が世界に二十カ所あり、一 日当たり数十億に上る膨大な通信を無差別に傍受。それをキーワード検索システムでふ るいにかけ、必要な情報だけを取り出しているのだという。
では、三沢のエシュロンが狙っている商業衛星とは何なのか。この疑問に対して、佐
藤氏は国際通信衛星のインテルサット−と答える。
「インテルサットは十九基の静止衛星から成る地球規模の通信システムで、世界の百
四十四カ国が利用しています。このうち、三沢がターゲットにしているのは太平洋上に ある日本向けの一−二基。エシュロン用のアンテナは三基あるので、インテルサットの ほかに、日本国内だけで使っている通信衛星(CS)も傍受しているのではないでしょ うか」。そう説明する。
ターゲットは日本、しかもわれわれが日常的に使っている電話や電子メール…と、佐
藤氏の分析は告げている。日本は自らの国内にあるエシュロン施設によって盗聴される という矛盾を演じていたというのである。
こうした情報の“無法状態”に危機感を抱いているのが、米国の経済上のライバルで
ある欧州連合(EU)だ。EUは今年五月、エシュロンに関する最終報告書をまとめ、 「最大の問題は産業スパイとプライバシーの侵害」と指摘、「人権に反している」と糾 弾した。もちろん、報告書の中にははっきりと「ミサワ」の文字が記されていた。
一方で、エシュロンの能力は伝えられているほどではなく、限定されているとの声も
ある。しかし、世界第二の経済大国である日本が、少なくとも知らないうちにし烈な情 報戦争に巻き込まれていたことだけは疑いようのない事実だ。
2001年10月4日(木) 第二部・終わりなき情報戦争 (1)
巨人盗聴網エシュロン/民間の通信すべて傍受
米中枢同時テロ事件を受けて、警戒態勢を取り続ける米軍三沢基地。その奥深く、小
川原湖のほとりに一段と厳重に守られた極秘の場所がある。「セキュリティー・ヒル (保安の丘)」。その名を呼ぶ時、米軍人ですら声をひそめる。
この丘に林立する無数のアンテナと巨大な「象のおり」。空中を飛び交う無数の通
信・電子情報に対して、二十四時間態勢で耳を澄ます極東最大の情報収集基地の姿は奇 怪で異様だ。
その中で現在、フル稼働しているとみられるのが、直径十メートルを超すゴルフボー
ル型の巨大ドーム群だ。ターゲットはテロの首謀者とされるウサマ・ビンラディン氏。 「彼が世界中のテロリストたちとの連絡に使っているインターネットを傍受しろ。そう いった命令が下されているはず」と軍事専門家らが口をそろえる。
その一人は続ける。「インターネットはもちろん、電話、ファクスなど遠距離通信に
使う民間の衛星ネットワークをすべて傍受していると考えられます。米国が中心になっ て構築した地球規模の秘密通信情報傍受システム。これが『エシュロン』です。知らな い間に企業や個人の情報がのぞかれているのです」と。
エシュロンが注目され始めたのはここ数年のことだ。その多くはなぞに包まれてお
り、おぼろげながら分かっていることは、一九四八年の英米協定に端を発し、現在では カナダ、オーストラリア、ニュージーランドを含む英語圏五カ国で組織する「UKUS A(ユクサ)」で共同運用されていることぐらい。
中心となっているのが、米国最大の情報組織であるNSA(国家安全保障局)で、そ
の頭文字を取って「ノー・サッチ・エージェンシー(そんな機関は存在しない)」とや ゆされるほど、徹底した秘密主義を貫いていることなどだ。
巨大ドーム群が並ぶセキュリティー・ヒルは米空軍の三七三情報群に所属するが、運
営主体はNSA。このため「エシュロン施設ではないか」との声が専門家から上がって いたが、そのうわさを直接裏付ける機密文書が二〇〇〇年一月、米ジョージ・ワシント ン大の国家安全保障公文書館によって“発掘”された。
文書は、米空軍情報局史(九四年)の「エシュロン部隊の活動」と題した項目に登場
する。
「空軍情報局の…(削除部分)…への関与は、日本の三沢基地での『レデイ・ラブ作
戦』に限定されていた」
前後の文章から判断して、削除部分は「エシュロン活動」と推測される。分かりづら
い文章だが、簡単に言うと、三沢ではレデイ・ラブ作戦という形でエシュロン活動が行 われていたということだ。三沢はエシュロン拠点の一つだったのである。
「レデイ・ラブ作戦」はモスクワと極東地域を結ぶ旧ソ連軍事衛星通信の傍受活動を
示す。三沢基地研究の第一人者で、通信工学が専門の佐藤裕二・秋田大元教授(秋田市 在住)は「レデイ・ラブ作戦はエシュロンの一部」と分析する。その上で「三沢がソ連 を対象とした同作戦を開始したのは七〇年代末のこと。しかし、冷戦体制の崩壊で標的 を失ってしまい、新たなターゲットに加えたのが民間の商業衛星。軍事以外の情報収集 にも手を染め始めたのです。九〇年以降のことです」と説明する。
エシュロンについて、米政府はいまだにその存在を公式に認めてはいない。日本政府
も「全く承知していない」(六月の衆院安全保障理事会で田中真紀子外相)と歩調をそ ろえる。しかし、なぞの怪物エシュロンは、ミサワをキーワードにその姿を現しつつあ る。
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